ケメ


http://www.hi-ho.ne.jp/iguchi/index.html

「想い出はあなたと・・・」より

佐藤公彦(ケメ)は、主に1970年代に活躍していました。

そして、2009年、佐藤公彦(ケメ)は、長い沈黙を破って活動を再開いたしました。

そして、2014年、佐藤公彦(ケメ)は、再び沈黙しました。


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青春時代。

深夜放送、ラジオで好きだった番組。

「あおい君と佐藤クン」。

あおい君はあおい輝彦さん。

佐藤クンはケメこと佐藤公彦さん。

ケメのことはこの番組で知った。

・・・と思う。

二人のおしゃべりが好きで、楽しみにしていた番組。


ケメはその後どうなったのかなぁ・・・と思うことはあったけれど

あまりメディア情報がなかった感じでしたが、

そう言えば今年に入ってテレビから聞こえていた訃報に

「さとうきみひこさん」という名前があった。

・・・

知ってる名前だった。

後ろを向いていたから、映像は見ていなかったけれど。

ええと、中山千夏さんのご主人だった方?

ミュージシャンだったはずだけど。

いえ、そちらは佐藤充彦(さとう まさひこ)というお名前でした。

ジャズビアニストの方。


佐藤公彦さん。それは

ケメ・・・のことだった。

。。。

6月24日に、65歳という若さで心筋梗塞で亡くなられたという事を

今更ながら・・・。

最近知った。

何かこのところ気になって検索したら、

あのニュースはケメのことだったんだと。

聞いたことある名前って、そう、ケメは佐藤公彦という名前だった。

知ってたのに、ずっとご無沙汰していたから。。

ケメ、どうしてるかなぁ?とたまに思っていたけれど。

活動休止、再開・・・という月日があったことを知った。

最近は少し前にライブなどをまたやっていたようなのに、引退していたらしい。

体調が思わしくなかったのか。

何か寂しさがググッと来た。

あの頃の私達は若くて、あの時代が眩しく感じた。

ケメってボンボンの良さがあって、

線が細い感じで、女のコに人気があった。

フォークだけど、当時流行っていたようなバンカラ調じゃなくて

都会の匂いがあったし。

ちょっとフォークとは言っても、アイドルっぽかった。


ラジオで流れていたあの「愛のソネット」。

🎵 君が海なら 僕の舟浮かべてぇ~よ ♪

先日。湘南の海を見たせいなのか。

この歌を思い出したりで、あおい君と佐藤クンのことも思い出して。

それが検索するきっかけになった気がします。


学校(高校)の催しでケメを呼ぼうという話も出たけど、

ケメは高いから無理という話だった。

結局、後に大物になるフォークグループが呼ばれた。

当時はそれほどでもなかった。

でも、私はケメの方が良かったけど。💓


ラジオの想い出 より 転載させていただきました。

http://www.geocities.co.jp/SweetHome/8730/keme/hakobune.htm


「あおい君と佐藤クン」

月~金 0:00~0:10  提供 カオー・フェザー

月曜日は、星占い。

毎日、聴取者からのお便りをもとにしたりして

あおい輝彦さんと佐藤公彦さんがその日のテーマに沿っておしゃべりする。

モコちゃん(小倉もと子)のラブヘアーポエム。

たまに、ラジオドラマもやってます。

<放送作家 : 杉 紀彦  「ケメの箱舟・ガラスの箱」№6より抜粋>

 それにしても、「あおい君と佐藤クン」のように、台本のいらない番組が、もっと増えて欲しいものだ。あれは、スズキ君に手伝ってもらって、かわいい聴取者さんたちのお便りに、片っ端から目を通せばいい。その中から、あの二人が話し合える要素を持ったお便り・・・・・・愛やニンゲンや想い出やアクシデントや馬鹿な話や失恋やふれあいや失敗などについて、いかにも若々しい気分に満ちたお便りをざっと何十枚か選べばいい。それに、ぼくや若いスズキ君の考えをまとめて、内田ディレクターと話せばいい。あとは、内田サンが自分の考えを加えて、もう一度スタジオであの二人と打ち合わせをする手筈だ。

 手間はかかってるけれど、ぼくの仕事部屋には、あの番組用の机はないし、紙もない。

ケメの箱舟・ガラスの箱

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